2012/01/29

カンボジアへ行ってきます

こんにちは、吉田鈴香です。

明日から、カンボジアへ行ってきます。

久しぶりのカンボジアです。

クラ~い思い出のあるカンボジアです。

人が訪ねてくれば必ずほかの人の素行について悪口陰口を言う習慣がある国です。だれそれが汚職をしていますよ、と。経済政策を尋ねれば、「わが国はこういう立派な計画を持っている」と、長々と計画を述べた後、こういうのでした。「ただし、貧困にあえいでいるから国家予算は一切ないため、いまだ着手できずにいる」と。通常ではプライドある国家は自らの国を「貧困」と言わないものですが、そのカンボジアの官僚は高らかに言ったのでした。つまり、エンジョクレ、のサインです。きっと、ドナー国がずいぶんカンボジアに「貧困削減のために援助する」と言っていたのでしょう。

なんといっても印象深く覚えているのは、戦争が終わってまだしばらくは、通りで人の話し声がしなかったことです。他人の一挙手一投足をじいっと見張って、何かを察知しようとか、悟られないようにしようとか、そんな気持ちでいるのがわかりました。複雑な感情を持つ国民です。

最後に訪ねたのは2002年でした。あれから約10年。新たなカンボジアを、見てきます。

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編集者の死を悼みます

28日朝、知人の編集者が亡くなりました。乳がんとの戦いを8年間続け、とうとう負けました。

心より、お悔やみ申し上げます。とても悲しいです。

彼女は国際協力についての専門家でした。

日本中がまだ国際協力を認知していない時代から専門に学び、この職に就き、私のような書き手を育てました。専門の辞書の編纂をしたくらいの方ですから、その知識の確かさはぬきんでていました。余人を持って代えがたかったと思います。貴重な人材だったと思います。残念でなりません。

国際協力が流行のようになり、若手は皆、外聞のよい職をめざします。NGOのプログラムオフィサー、JICAの職員、国際機関の職員がその典型です。中でも広報は、国際機関ではあたかも美人がつく仕事であるかのような錯覚をする人が後を立たず、私はしばしば立腹しています。広報の研修も受けていない口先人間が、横柄な応対をしています。

日経ウーマンオンラインで人物紹介の連載を持っていたとき、彼女に登場を頼みました。「編集者」という仕事を国際協力で選んだ動機など聞きたかったのです。また、この難しい職業の重要性を彼女に語ってもらいたかったのです。

しかし、彼女はかたくなに断りました。表舞台にでる仕事ではないからと。

表に出たくない人ほど、優れたものを持っているのは、世の常です。

優しい笑い声、穏やかな人柄を思い出します。耳に残る彼女の声を、もうじかに聞くことができないのかと思うと、悲しく、残念で、手の届かないところへいってしまわれた寂しさを感じます。

ご連絡をいただいたとき、会いに行くべきだったのに、行かなかったことを、申し訳なかったと、亡き彼女に頭を下げました。命あるときに、言葉を交わすべきでした。

彼女を追悼するとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

編集者のお名前は、佐田桂子さん、といいます。

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2012/01/26

二宮金次郎はいますよ

こんにちは、吉田鈴香です。

全国の小学校から二宮金次郎の銅像が撤去されているのだそうですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120125-00000060-mai-soci

薪を背負って本を読む姿の銅像です。勉学心に燃え、苦しい暮らしにも負けず、志を立てる人になってね、という教訓を示す像です(と思う)。

本を読んで歩くのは危険だからと、銅像撤去を唱える父母がいるとか。

はあー、奇妙な捕らえ方をするものですね。

外見ばかりを見て、金次郎さんの精神を汲み取ることができない人がいることに愕然とします。もちろん、シンポ的とかオクテとか、そういう問題でもありません。

私も小学生のとき、そんなチョンマゲ姿の小僧さんに偉そうなことを教えてもらわなくてもいいワイ、と思っていましたが、大人になって、いつしか、私自身が金次郎さんと同じことをしておりました。

台所で鍋を火にかけながら片腕に子、片手に本でした。紛争地では、眠ってはいけないからと、リュックを背負って月明かりのもと、ペンと紙を持ちました。通りを歩きながら本をめくったり、考え事をして、思いついた言葉を紙に書き留めることはよくあることです。寸暇を惜しむつもりもないけど、次々とやらねばならないことに襲われると、時間の圧力がかかり、ながら族になるだけのことです。

キンジロさん。

いい名前ですなあ。

こういう名前の子どもさんがいたら、キンジロちゃん、とか、キンジロはん、とか、呼んでみたくなります。この名前だけで、十分親しみがわきます。「教える」ではなく、「親しむ」気持ちで金次郎さんを見てみると、共感がわいてきます。

――キンジロちゃん、今日は何ページ読んだの? 薪、重くない?大丈夫? 本には何が書いてあったの? 面白い本なら貸してよ――

キンジロさんに語りかけているつもりが、いつしか、自分に語りかけているような気がしてきました。こういうことを訊いてくれる人は、世の中いないもんです。

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2012/01/25

ダルビッシュ選手に祝福を

こんにちは、吉田鈴香です。

昨日24日、ダルビッシュ有選手が札幌ドームで記者会見を開きました。その中で、自分に向かってくる打者がいなくなったことが、最大の動機だった、といっておられました。ダルビッシュ投手が出てきた日は負けても仕方ない、というような空気が、相手方にあったのですね。そして、それはダルビッシュ選手にひしひしと感じられたんですね。暖簾に腕押しの勝負を彼は続けてきたというわけです。気の毒でありました。彼の「かかってこい」の気持ちがよくわかりました。

スポーツのよさは、公平なルールの下、勝ち負けが点となってはっきり現われることです。言い訳がきかないことです。勝負の時間だけにすべてを投じられるよう、日ごろの練習を重ねて、嘘をつかない体を作っているのがスポーツ選手です。

思わず、思い浮かんだのが、日本の政治家たちです。衆人環視のオモテの世界(国会)では論戦せず、ウラの世界(個人的人間関係)で情報のやり取りをし、誰がこう言ったああ言ったと突き合う。新聞記者たちもそれに乗って記事を書く。また、秘書をいじめる。よく働くように競わせる、とは聞こえがいいが、その人間の尊厳をつぶし、ただの下働きに甘んじさせ、自分より上に行かないように押さえつける。政治一家に生まれると、早々とそんな手練手管を覚えてしまい、特にその傾向が強くなるようです。

ただ、わずかな期間、私が垣間見た政治の世界には、しかし、そうでもない人たちもいたのは、救いでした。人によるのだなと思ったものです。党の名前では測れません。

大学で私はスポーツ選手にいうように務めています。体をぶつけ合うスポーツの世界では嘘はつけない。事実だけがある。スポーツの世界での「事実」は自分の努力で作ることが出来る。そこにかけている皆さんはすばらしい。感情を排して事実だけを見て安全保障を語る大人になって欲しい、と。

ちょっと脱線してしまいました・・・

ダルビッシュ選手には、打者に向かっていく、吼えるトラになって欲しいと思います。小細工抜き、日ごろの鍛錬も懸命に。ご活躍を心から願っています。

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2012/01/09

成人の日に思う

こんにちは、吉田鈴香です。

今日は成人の日です。

新しく成人になられた皆様、おめでとうございます。

実際には高校を卒業した時点で大人とほぼ同じ生活を送っておられることでしょうが、法律上も大人となったことは、大変意義深いことです。選挙権を得て、どんな社会を築くかの責任と権利を有したということですから。

しかし、社会的に課せられるそんな命題は、自分の中の価値観とは全く一致していないことでしょう。自分がやりたいことしか想起しないのが若者です。それだけを見て生きているはずです。

多くの若者は、夢は何かと聞かれれば、ダンサーになること、というような職業を答えます。私は20代はそれでいいと思っています。「夢」なんて言葉に惑わされずに、自分だけを見つめていていい年齢です。自分の内面から湧き出てくるものが、世間で言うところの「夢」といっていいのかどうか、迷うくらいでちょうどいいのです。

言い換えると、自分がめざすものだけが脳裏に浮かぶのであって、それ以外は「余計なこと」「邪魔なもの」です。自分があるということだけですばらしいことです。

正直に申せば、これから平均寿命までの60年以上は、それだけでは不足です。社会に貢献する意識を持ってこその「社会人」ですから。焦らずとも、やがて、次第に機は訪れます。社会に貢献する意識とは、何らか達成したものを手にしたとき初めて、自分の命題として自分の中に降臨してきます。

私自身を振り返っても、邪魔なもの、余計なことは触らず、やりたいことだけを追及してきました。それでも、やりたいことの小さな山を越えるたびに世の中を意識するようになり、自分が能力を開花させれば社会はそれだけ前進すると確信をもって言えたのは36歳のときでした。成人式を祝ってもらってから33年、多くの気づきは多くの失敗から、少ない実りは多くの出会いからいただいた果報です。邪魔だと思ってきたものが自分の支えになることも経験しました。あきらめることをようやく昨年覚えました。いつの日か、笑顔で自分を褒めるようになりたいものと思っています。

あらためて、新社会人の皆様、ご成人おめでとうございます。

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2012/01/05

メモ:治安と開発の共通課題

1)Non-State Actorsがテロリストだったとして、

テロリストあるいは反政府勢力のインプットとアウトプットの因果関係で必ず登場するのは、現地のコミュニティの人々との関係。構成員以外の人々の便益をもたらすことができるか、コミュニティから資金調達、リクルートメント、情報収集ができているか。つまり、人々と惹きつける、支援を得る能力{Counterinsurgency Warfare Theory and Practice 1964}。

テロリスト分析における2指標{Troy. Thomas 2004 Nov}:① 構成員の数、②シンパの数

テロ活動においては小目標を達成しやすく、結果が見えやすい。対象物の爆破など成否はすぐに現われるから。短いスパンで次々に攻撃を仕掛けるためには、支援者、シンパの実質的な支援を恒常的に得る必要がある。結果、それに協力を要請される現地の人々の暮らしは疲弊しやすくなり、脅しぬきには現地の人々とテロリストとの関係維持は不可能になっていく。

仮説1: この2指標が激減するとき、violent non-state actorsは変化する。つまり、2指標を得るためのコスト急増、つまりテロコスト増になったとき組織の基盤は揺らぎ、そこに外的ストレスがかかったとき、VNSAは折れる。

仮説2: 仮説1であげた状況下、外部要因がストレスではなく対話のアプローチだったとき、VNSAは変容する。年末から始まったアフガニスタンにおけるタリバンの変容がその例。ETA、IRAもしかり。

2)Non-State Actorsが現地社会での権力者だったとして、

人々を惹きつける力を有しているのが、真の現地社会の権力者である。人々を惹きつける力とは、外部との接点を通じて現地の人々に仕事を付与できる力、食べさせる力。持続的であらねばならない。酋長など伝統的な社会的力を有するものだとしても、仕事をもたらせないものは力を失っていく。そして、別のアクターがこれに替わろうとする。このとき、暴力を持って交代のスピードを速めようとしたならば、紛争がおきる。

開発においても、現地の人々の便益をもたらすことを主要な課題に挙げている。紛争と開発とともに着目せねばならないのは、脅しぬきで「現地の人々」を惹きつけるアクターが持続的な力を保有できること。

WDR2011がいう「雇用と正義(現地の人々に対する)が暴力を減らす」は、コミュニティを対象になされるためテロ集団の資源を細らせるには効き目はあるが、決定打にはならない。彼らの権力欲、支配欲に基づいた独善的な世界解釈{宮坂2009年12月}を変えることはできない。

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2012/01/02

今年を大予想

こんにちは、吉田鈴香です。

今年の予想をします(冗談含む)

・ 9月解散で衆議院選挙が行われるが、一票の格差を是正する法律改正がなされていないために、後に憲法違反の判決が下る。来年、あらためて衆議院選挙が行われることになる。来年の再度の選挙で復活を狙い、若手と新人への公認を出さず、民主党代議士・国会議員の高齢化はいっそう進む。

・ 公務員の定数削減と給与削減が生半可に終わり、民主党内の自治労の地盤を持つ議員が、これ以上痛めつけれてなるものかと、かえって党に強気で望むようになる。そして衆議院選挙で勝ち残ったのは彼らになる。

・ 南スーダンに日本の自衛隊が派遣される。しかし、現地の正体不明の武装勢力が隊員の拉致、襲撃を行い、装備に欠ける小隊隊員が被害にあう。派遣の続行が国会で審議される。武装勢力は南スーダンだけではなく、周辺地域からわざわざジュバ周辺に集まってきて事件を起こした。スポンサー国(state sponsor)としてスーダンの名が挙がるが真偽は不明。

・ イタリアの国債償還ができず、ユーロは暴落。1ユーロ90円台が基本になる。

・ ミャンマーは、エネルギー(ガス、石油)と人材を自前で供給できる一大産業国へと発展する。昨年11月に北朝鮮との縁を断つことを米国に約束したミャンマーは、中国との関係も冷え、日本、インド、米国と軍事を含めた協定を協議し始める。中国の人件費高騰を嫌った日本企業の進出も相次ぐ。

・ ロシアでプーチン大統領誕生ならず。北方領土交渉の進展は断たれる。

・ 韓国の大統領選で、現代グループが李大統領以外の候補者を支援に回る。北朝鮮との縁を続けられる方にかけることにした。

・・・とまあ、楽しいことを思いつきませんね。

楽しいテレビ番組がなくなった今、リアルに興が乗る娯楽が選挙になってしまいました。しかし、それは日本の迷走を招くことかもしれません。世界中が経済と政治で荒れる中、「まだ日本はマシ」「これをしたなら日本は安泰」などと甘い見通しはもてなくなりました。

各人、自分を維持するだけで精一杯な時代です。

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2012/01/01

新年明けましておめでとうございます

新年あけまして

おめでとうございます

昨年は悲しいことがたくさんあり、日本中の人々が胸を締めつけられるような思いをいたしました。世界もまた、金融不安、経済低迷、暴動などで苦しみました。

今年は、何らかの光を見出したいものと思います。

皆様のご健康とご多幸、ご活躍をお祈りいたします。

私は今年も論文の執筆を続けます。昨年乱読したnon-state actorsに関する文献、テロと暴力、国家建設に関連する文献を、一度ばらして自分の基準で集め構築する過程に入っております。自分が問われているなと思います。いまこそ「根性」という言葉が頭に浮かびます。他のどんな言葉でもない、「根性」を選び取り、わが背中に貼り付けました。自分にしか見えない文字ですが。

ジャーナリスト時代の記事執筆と違い、一気に書くことはできません。積み重ね、考え、編んでいく工程は執筆者の創造力をあらわにします。こんなふうに自分で問題を設定して解を出す苦しみは、また、喜びでもあります。

世に貢献したい気持ちは益々さかんです。今年もまいります。

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2011/12/18

女の本番

こんにちは、吉田鈴香です。

NHKの朝の連続テレビドラマが話題になっています。戦前戦中戦後の大変な時期を一家を率いた実在の女性の一代記であり、役者さんたちの達者な演技について、台本について、市中は騒がしいようです。

私は、女性の「怒声」についてよく考えさせられます。主人公は、これまでにないタイプの、よく怒り、激しい感情の起伏を表し、幼少時から怒鳴り声を張り上げる人であります。NHKにありがちな「いい子ちゃん」どころか、どこの家庭でもどの地域にもいる、怒鳴り、恫喝し、ふてぶてしくものを食べる姿をさらけ出しています。

あまりにリアルで、自分が怒鳴っているような気持ちになる人も多いのではないでしょうか。感情移入の度合いでは、比類なき完璧な台本です。

私は、人が成長する過程が描かれているなと思います。主人公は、怒鳴り声を張り上げながら猪突猛進する過程で、人一倍の経験則を得ているのです。経営、家事、育児、看護、介護をすべて取り仕切る過程では、人を傷つけてしまうこともあるでしょう。決断を間違えることもあるでしょう。なにせ、決断と実行を迫られる機会は、盛りだくさんなのですから。言い換えると、成長する機会が、人一倍あるということです。ドラマが終焉するころには、太っ腹な、大きな女性になっているだろうなと思うと、毎回楽しみです。

実は、ドラマの主人公とあい通じるものがある女性たちを、街の中華屋さんで見たのです。先日誤って消してしまったブログで書いたのは、この女性の食べっぷりについてでした。

安くてボリュームたっぷりと評判の中華屋さんに行ったときのこと。40代以上の女性たちが、1人で黙々と皿を平らげているところでした。テーブル席はそんな女性たちで埋まっていて、全部で10人くらいいらしたようです。私も、その仲間に加わり、黙々と箸を動かしました。

幾皿も乗っている盆を空にするまでしっかり食べ、おなかをさすって席を立つ女性たち。

いいぞ、女性たち。

女性が鳥のように食べ、小指を立ててコーヒーを飲むなんて、誰が考え付いたんだろう。

ウエストが何センチだ、などと考えなくなったときが、女性の本番なんだなと思いました。見かけではなく、必要なことをやるだけ、と心を決めた人たち。どう見られるかではなく、何をすべきか、を最優先に生きている女性の姿でした。

女性誌にあおられて食べ物の摂取すらも禁じているうちは、十分に働くことも出来ないでしょう。この体力に叶うわけがない。

中華屋さんで見た女性たちの姿と、朝ドラの主人公の姿とが重なりました。女の本番は、女性誌を読まなくなった時からなんですね。

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2011/12/17

現在の職に感謝

こんにちは、吉田鈴香です。

12月も半ばとなりました。大学での講義は残すところ1回です。

研究者の道を歩み始め、その思いに曇りはありません。現在の大学での職をいただくにあたり、複数の先生方から学内で多大なご尽力をいただきました。

私がまた政治の道に戻るのではという疑心暗鬼が渦巻く中、大学側が一枚の紙で免職することも可能でした。大学の非常勤の職はきわめて不安定なもので、他によい先生があると思えば、雇用者である大学はそうできるのです。政治学は博士号取得者が多い学問ですから、競争率は相当なものがあります。

そんななか、私は2年続けて教鞭をとる機会をいただき、さらに来年はコマ数を増やしていただきました。本当にありがたく思います。

研究者と政治と二兎を追えるほど世の中は甘くありません。能力的にもそれはほとんど不可能です。

いまいただいている職に感謝しながら、来週は今年度最後の講義に臨みたいと思います。

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